くろみつの隅の囁き

文化系全般を勉強中。2〜3次元までミーハー気質。又吉ごととか。

綾部の「格差」キャラと又吉との安定感。

私の大好きなコンビが「格差」ネタで盛り上がっている。
芥川賞を受賞した又吉。それに対して相方は…という意味合いで。
「綾部が又吉に嫉妬している」なんていう記事もあれば、「綾部は又吉を尊敬している」なんていう記事もある。ある記事は、本を出版し売れた芸人とそのコンビの例として麒麟・ロザン等を挙げた上で、その2組に比べコンビ仲も含めピースの分裂の可能性が高いと述べていた。
その理由として、(他2組と比べて)同期だけど結成が後年である事、出身地もバラバラで年齢も3つ異なるなど共通点が非常に少ない事を挙げ、
コンビとして活動しているのすら不思議だ、というような事すら書かれていたから驚いた。(共通点が多ければ上手くいくなんて事は全く無いと思うんだけど…)


とはいえ、実際綾部が又吉の芥川賞受賞をどう受け止めているかなんて綾部本人しか知らないわけで、そんな色々憶測や疑問を感じる推測を参考にするくらいなら、芥川賞を取った芸人の相方として綾部がどういう反応をするか、芸人としてどういうスタンスを取るのかが、1番信頼できるソースだと思った。


そこで生まれた「格差」キャラ。
又吉を「大先生」と呼んだり、自らをアシスタントと名乗ったり。
記者のインタビューなどでも格差に対する自虐のような発言をする綾部。

相方の快挙について尋ねられた際、できる反応は色々あったと思う。
率直に大方の人が予測、あるいは期待するように激しく悔しがるとか、僻んで笑いを取るとか、見栄を張って天狗キャラを強調するとか。
そんな中で綾部はこれまでの世間の「天狗」イメージとは逆の、相方を先生として敬う、そして敬いながらボケて又吉にツッコミをもらう
キャラを作り上げた。(この一連の騒動に対するやり取りでは、基本綾部がボケで又吉がツッコミな所も面白い。)

そこで想像してみたけれど、だいたい受賞前後にコンビで呼ばれた仕事は、オファー側はもちろん芥川賞について言及してくれる事、とりわけコンビで呼ぶからには綾部に何らかの相方の芥川賞への反応を期待しているわけで。(翌日のネットニュースになるような。)芥川賞なんかなかったように振舞う事はできない。でも又吉自身今回の受賞に関して嬉しいとは言うもののすごく謙虚な姿勢だから、自ら芥川賞について綾部にアピールする流れはおかしい。となると番組などで共演者や司会が話題を絶対に振ってくる場合は別として、綾部から又吉に芥川賞について触れていくのがベストなわけで。そこで芸人の冗談としてとわかっていても僻みや嫉妬をむき出しにしたキャラを見るよりは、あの「天狗」だった綾部が又吉を先生と呼び立てている方がなんだか面白いし、見ていてギスギスしない。しかもキャラが芝居がかっているから、もうそのキャラが出た時点で即席コントを見ている気分になる。
つまり、格差をネタにしているのに、なぜかすごーーく「活き活き」している(笑)
諦めや卑下、もうこう立ち回るしかない、という雰囲気は全く感じられず。
まるで「ビジネスチャンス来た!」とでも言いそうなくらい芸人としてのキャラを立てている。その姿を見てこの人が又吉の相方で良かったと心から思った。




そしてそれを本人の言葉でで再確認する事ができたのが、9月8日のスポ日のインタビュー記事。以下、あまりに素敵で見習いたい綾部の一部をば。

●又吉の芥川賞受賞について

「プラスでしかない出来事。芥川賞作家は何人もいるけど、なにせ“芥川賞作家の相方”は僕しかいないんですから」

「率直に言えば、大金が入るのがうらやましい。それだけですよ」

「僕からすれば、サッカー選手がクリケットで脚光を浴びたようなもの。お笑いのことなクソーッとなってたかもしれないですが。まして、クリケットの道具を磨いたりしてるのを、そばで見てきたわけですから」

僕が思う以上に本が好きだったんだなと思うし、努力も見える以上のことをやってたんだなと思う。

このサッカーとクリケットの例えがすごくいいなと思った。というより、綾部はコンビ内でどっちが売れてる、売れてないとか、小さな矜持に一喜一憂するような人では無いんだな。又吉が以前芥川賞候補になる前に、前に三島由紀夫賞の候補に挙がり、それを逃した。その時多くの人は僅差だった事を評価したりする中、相方の綾部のみ、「獲らなきゃ意味ねえんだよ。ビジネスになんねえだろ」と言ったという。
ピースは2010年のKOCで準優勝をしたものの、大きな優勝経験は無い。十分だと多くの人言ってもらっても、「準VとVには凄い差があることを知っている」
と。それで1位に拘っていたとは知らなかった。「天狗」って言葉は自惚れる、得意になるって意味で使われるけれど、準Vに満足していない姿勢だけでも
本当は天狗じゃないよな〜とは思う。もちろんそれだって綾部が持っている1つの大切な芸人としてのキャラなんだけど。


●格差と今後の活動について
ここでも綾部のスポーツに例える言葉は続く。

ウチはいい意味で、個人プレーの融合。サッカーで言えば、完全なるクラブチームなんです

お互い違うところで活動をしつつ、これで僕が演技の新人賞、とかなったら、とんでもないコンビでしょ。格差なんてあっていいし、自分がそこを埋めていければ。

“ゲームメーカー”として、この展開はやりがいがあります。僕が格差を縮めていくのもいいだろうし、逆にもっと下がってもいい。今、僕がAV嬢とラブホテル行ったり、熟女との温泉デートを撮られたら超おもしろいでしょ!?それどころじゃねえだろって

国でもクラブでも飛び抜けている人が一緒にやるのが一番楽しい。僕らもそんな存在に憧れる。僕らはまだ個人プレーですが、結果的に“ピースという国旗”を掲げられるようになるのがベストですね。

思っていた以上に、自分や自分のキャラ、ピース自体を世間の目から客観視する人だと思った。格差=危機という大方の認識を裏切り、格差=チャンス・埋めても面白いし広げても面白いもの、という考えが、決して非現実的なポジティブではなくて、確かにそうだなと思える捉え方。語っている野望の規模は確かに大きく、それこそ天狗だと思われるかもしれないけれど、冷静に自分の立場を客観視しつつ、できない事や比較で周囲を固めていくのではなく、チャンスがないか常にギラギラしている。劇場中心の頃のお兄さんキャラと比べ最近は天狗や熟女や胸毛や嫌われキャラやら、芸人としての仕事だとわかっていても綾部は落とされて笑いを取る空気になる事が多かったから、綾部単体の出演番組はあまりチェックしなかったけれど。この記事を読んで安心して見れるかもしれないと思った。

又吉が芥川賞の候補に挙がった辺りから、記者からの質問でよく「相方の綾部」という言葉を使って綾部の話題を出していた。だいたいそこで笑いをとっていて、笑いを取った場所は映像としてカットされにくいし、よくTVでも流れていた。それで又吉単体だけでなく、芥川賞に対する綾部の反応もクローズアップされるようになった気もする。
一方で、芥川賞の受賞をだいたいTVやイベントに出演した際は司会者なり出演者がすごいね、と褒めてくる。一方的な賞賛に対しては「ありがとうございます」とか「嬉しいです」とかしか言えない又吉に対して、綾部が「先生とアシスタント」「印税の視聴者プレゼント」「お金の使い道」などのボケを投下する事で、ただの賞賛を笑いに変える事もできていて。又吉がソロで出る事の方が多いけれど、やっぱりコンビっていいなと思った。


***

お笑い芸人は一般的にはコンビが多く。漫才でもコントでも、だいたい1人がボケで1人がツッコミ。とはいえ売れ方も芸風も千差万別、そして売れた後の芸風がどう変わっていくかもそれぞれ異なる。ほんの一部のベテラン芸人を除き、一時的に激売れしたものの徐々にメディア露出が減り、気がつくとほとんど見かける事もなく、時折今あの人何やってるのかな、なんて思い出す芸人は山程いる。というかその流れはとても多い。

だって世の中には流行りがある。
音楽は何度でも同じ曲を聴く人がいるし、流行りはあれど聴き手がその音楽を初めて聴いたならばいくらでも新鮮に楽しむ事ができる。でも芸人は違う。
売れる芸人は一握り、そして売れたって生涯芸人として売れ続ける人なんて更に一握り。しかもその「売れ続ける」というのは、同じ漫才やコントとしての芸が人気であり続けるのではなく。どちらかと言うとコントや漫才よりもバラエティのMCや、気の利いたボケやツッコミができるレギュラーのコメンテーターとして売れ続ける芸人が多い。

そうやって厳しい世界を生き抜いてMCやコメンテーターとしてある程度安定的に売れ続けたとしても。今度は徐々にコンビ格差が生じてきて、それをネタにされたり(或いは自らネタにしたり)することがある。
コンビとして漫才やコントで売れたのだとしても、そのブレイクにより出演するバラエティ番組は、ネタを披露するのでなければ2人である必要は全く無い。ネタを披露する番組なんてそんなに多くあるわけではない。そしてメディア露出の差がコンビ格差として徐々に認識されていく。

売れている方は頻繁にTV露出をし、顔は活き活きとしている。実際売れているだけあってその番組に合ったコメントをし、ボケをし、あるいは共演者にツッコミをしてその場を面白くする。一方で徐々に番組に呼ばれなくなった相方は忘れられる。たまに思い出されても格差をネタに笑いを取るくらいで、どことなくネタに仕切れない感情が浮かんでいるように感じる事がある。そう考えたら私はそういう冗談をは笑うことができない。でもコンビが同じくらい同じような仕事でずっと売れ続けるなんて事は、コンビとしての漫才やコントを中心にやって売れ続けているわけではない時点でほとんど避けられない事で。
だから格差ネタの笑いはあまり好きじゃなかった。そういう格差ネタをしてる時点で、売れてる方が売れてない相方を(勿論ネタとしてだけど)揶揄するとか、売れてない方が自虐的にネタにするとか、その時にはもう既にコンビとしての仕事はかなり現実として減ってからの事だから。
でも、綾部が「格差=チャンス」と捉えている事を知れたので、この格差ネタを微笑ましく見ていられそうな日々です。

職業の枠にとらわれないかっこ良さ。星野源×又吉直樹「働く男」巻末対談

 

星野源さんが以前執筆した「働く男」の文庫版が9月2日に発売された。

文庫化に当たって加筆された他、巻末に又吉と星野源の「働く男」同士の対談が

あると知り、なんて素敵な対談、と楽しみにしていた。

(以前「おやすみ日本 眠いいね」で共演していた時もかなり嬉しかった)

 

実際文庫本見開き10ページ少々の対談だけれど、すごく濃い対談だった。

特に始めの「職業の枠はいらない」の話で、やっぱり2人はそこの考え方が同じなんだな、と思ったのでまとめをば。

 

働く男 (文春文庫)

働く男 (文春文庫)

 

 

「僕は、職業はなんでもいいんです。」(又吉)

「何の仕事がメインとか肩書きとか、関係なくやりたいですよね。」(星野)

 

星野源=音楽家・俳優・文筆家

又吉直樹=お笑い芸人・作家

 

よく紹介されるのはだいたいこのような肩書き。

2人共もともとメインはお笑いだったり音楽家(あるいは俳優)だったけれど、

今は文を書く事でも活躍している「マルチタレント」っていう印象を持たれていると思う。(実際は2人とも昔から何かしら書いていたけど)

 

だから一般的には、「又吉ってお笑い芸人なのに小説もかけるらしい」とか、

星野源って俳優だと思ってたけど音楽番組出てなかった?本も出してる?」とか、

よく知らない人にはこの人は結局何者なんだろうって思われるのかもしれない。

 

実際又吉は芥川賞を受賞した直後、記者会見やテレビのインタビューでよく「芸人としての仕事はどうするんですか」「いずれは作家に専念するんですか」「芸人と作家は何%でやっていきますか」という類の質問をよくされていた。

そういうインタビューに対して又吉は、それが短くてわかりやすい回答を期待しているからか、「芸人100%で、空いた時間で執筆をこれまでもやってきたので」というような事を言っていた。

 

一方で情熱大陸や雑誌の対談など、ある程度自分の意見をゆっくり聞いてもらえる場では、又吉が特に職種に拘っているわけではない事がわかる。

 

「全然ちゃうって言われるかもしれないですけど、僕小説書くのは、芸人の職業にめちゃめちゃ近いと思うんですよね。小説って結局頭の中にある事なんでネタとか作るのと一緒で、もともとの「考えるの好き」っていう、その変なこととか、でいうとめっちゃ近いねんけどなっていう。」(情熱大陸

 

「コントと漫才ってラグビーとサッカーぐらい競技違うじゃないですか。そこよう同じ人たちがやってるなっていうくらい違うじゃないけすか。でいうと、小説はアメフトくらいじゃないですかね。(情熱大陸

 

 

何故2人は職種に拘らないのかをこの対談を読みながら考えていた。

この本のタイトルでもある「働く男」でイメージするのは、仕事を極めている人。

昔の価値観で言うと、それは職人さんのような、同じ1つの仕事を、それしか考えないくらいの意気込みで何十年もやり続けてきた人の事のように思う。

もうその職種が自分のアイデンティティになっているような。

 

でも2人はそこに軸を置いてはいないんだなと思った。

つまり職種に軸を置くのではなく、「自分の好きな事・したい事」を極めていたら、

それが評価されてお金を対価としてもらうようになったから、そのしたい事を実現する職種がずっと何でなければならないとか、そういう括りがないのかもしれない。

 

自分のしたい事がそのまま職業になったらええのにと前から思っていました。」(又吉)

 

「俺も、好きな音楽がお金になると思っていなかったので、いつの間にかアルバムを出してまとまったお金がはいるようになって。」(星野)

 

お金が発生すると難しくなる部分も増えるけれど、だからこそ良い物を追求していく事を日々考えている。自分の好きなこと・やりたいことを仕事にしているから、その方法が文を書く・役を演じる・コントや漫才で人を笑わせる・音楽を人に届ける、でもなんでもいいんだなって。

 

どの職業が稼げるとか、この職業だと金にならないとか、そういう話はよく耳にする。

又吉と星野源はその自分の好きなことで生計を立てられている人で、そういう「成功している人」の影に多くの、それこそ「火花」に出てくるような「道半ばで踏ん切りをつける人」が大勢いるのも事実だと思う。

でも、自分はそういう選ばれた人間じゃないから、稼げる仕事を探して生計を立てていこうとか、この仕事、この職種しか道はない、という生き方よりは、例えそれが2人のように生計を立てている仕事になっている物ではないにせよ、やりたいことを正直に追求していく姿勢を大切にできる人になりたいと思った。

なかなか出来てはいないけれど(笑)

 

あとは、その職業に括られない生き方って、実は本田圭祐とも通じるなって最近特に思う。私の芸能人の好みはやはり基本文化系なんだな、と昔思っていたけど、ではなんで私はサッカーのファンというわけでもないのに本田圭祐が好きなんだろう?と思っていた。でもこの対談や、今月のNumberの本田のインタビューを読んでも思った。

又吉と本田って絶対似てる(部分がある)。今度Numberをもう1度読み返してその辺りもしっかり考えてみよう。

 

そしてその前に、星野源さんのこれまでの作品も読んだり、観たりしたい。

 

フクロウを飼いたい衝動。

ハリーポッターの映画を初めて観た時、フクロウを飼いたいと思った事があった。

でもそれは「魔法を使ってみたい」と同じくらい現実的には不可能なんだろうな〜と、よく調べもせず思っていた。

前にどこかで猛禽類だとか、肉食だとかを聞いた事があって、可愛い顔して怖いんだなって印象もあったし。


そして半年前、日テレで「⚪︎⚪︎デビュー」という、芸能人が人気の⚪︎⚪︎にデビューしてみるっていう特番をみていたら、タレントのアレクがフクロウカフェに行ったり、そこのフクロウを家に持ち帰って飼ってみたりしていた。

その番組で初めて、今世間ではフクロウを飼う人が増えていて、猫カフェならぬフクロウカフェも流行っているという事を知った。

しかもなんか可愛い。犬みたいに甘えてくるわけじゃないけど、腕に乗せたり撫でたりできるし、基本止り木にいてくれたりお世話も楽そう。ただし高い。(1匹80万円のフクロウもいるらしい。)

というわけで飼う線はないなーと思いつつも、フクロウを手に乗せてみたくて、フクロウカフェへ行ってみた。

結論:かわいすぎる。

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番組観た時点で行ってみたい!となっていたとはいえ、動物カフェ的にはやっぱり、猫カフェとかの方が撫でやすそうだし、楽しいんじゃないかと思っていたけどそんな事はなかった。

私の行ったカフェは、店員さんが自分の気に入ったフクロウを腕に乗せてくれるシステムで、そこまで大きくないフクロウなら手袋無しだった。私はギリギリ手袋が要らなそうなフクロウを選んで乗せてもらった。

選んだフクロウは大人しめで、鳴き声をあげたり、首を動かしたりはするものの、基本的には落ち着いていた。

一方で隣りのお客さんの選んだフクロウはやんちゃなのか、羽をバタバタさせてみたり、お客さんの頭に乗ってみたりしていた。やっぱり1匹1匹性格があるようだ。

腕にその大人しめのフクロウを乗っけて、止り木だからあまり動かさないように気をつけながら、これはハリーもヘドウィグを可愛がるよなーなんて思いつつのあっという間の1時間だった。

ちなみに飼う際は止り木を用意して置いておけばだいたいそこに1日中いるらしく、桶に水を張っておけば1日1回自分で勝手に水浴びしてくれる、手間がかからないところも人気らしい。

暫くはフクロウを飼う予定はないけれど、将来の夢的なレベルで、いつかフクロウを飼ってみたいと思った夏でした。

サラバ!と去年のダヴィンチの西さん特集掘り起こし

サラバ! 上

サラバ! 上

サラバ! 下

サラバ! 下


西加奈子さんの作家10周年の記念作品「サラバ!」を遅ればせながら読み終えた。
上下巻でなかなかのボリュームで、主人公の半生を一人称で読む物語だったため、
読後1〜2日は主人公の歩が辿ってきた人生が自分の中で抜けきれないような、ふわふわした感覚だった。


同時に、もしやと思い以前購入した去年12月号のダヴィンチを振り返ると、
「祝!作家生活10周年 僕達には西加奈子がいる」特集が。
勿論この特集タイトルは、又吉が「炎上する君」の帯で寄せた言葉を引用したもの。
特集は

 ①作家10周年とサラバ!についてのインタビュー
 ②西さん✖️対談(デザイナーの鈴木成一さん・若林さん・又吉さんと)

で構成されていて、特に①ではサラバ!について詳しく語られている。
読後にこの特集を読んで気がついた部分も多かったので、メモをしつつ感想をば。




⚫️「僕はこの世界に、左足から登場した。」プロット無しで書き始めた長編。

NHK「SWITCHインタビュー」の椎名林檎さんとの対談、他雑誌のインタビュー等でも散々語っている通り、西さんはこの一文が頭に浮かんだ事から始まり、プロットを立てずに物語を書き進めていったらしい。
上下巻にもなる長い物語で、こんな作品を書いてしまうなんて作家さんの頭の中って恐ろしいなと思うけれど、確かに読んでいて起承転結の物語というより、主人公と、それを取り巻く家族・親戚・友人の半生そのものを過ごしてきたような気になったので、だからだったのかと感じた。

人が、言葉が、後から、後から大切な意味を持って立ちあがってくる。パソコンの前で西さんが「うわーっ!こういうことやったんや!」と感動した、そのいくつもの瞬間は、背筋が震えるほどのカタルシスを読者にももたらしていく。

ダヴィンチの記事でもあるように、自分が書いたものではあるけれど、引っ張られていった感じがあるという西さん。
同時に、年齢や経歴など主人公と重なる部分が多くあるものの、西さんは小説である時点で彼らが西さん自身にはなり得ないとしている。一方で、

身体性というか、自分の経験したことって絶対に文章に出る。経験したことそのままじゃなく、背景みたいなものが出ると思うんですよね。だから、エジプトへ行った経験というのは、今の私の血であり、肉であると思うので、素直にそこは書きました。

ともおっしゃっている。確かに、西さんに限らず「火花」やその他の本を読んでいて、作家さんの背景を一部知っていると、その人自身は出てないけれど、エキスはすごい感じるな〜と思う事が多いので、このサラバ!も西さんの経験が背景に濃く出てきた作品なんだと感じた。
それにしてもイラン・テヘラン市生まれってかっこいいな…(笑)



⚫️下手な人生指南書より何百倍も重みがあって、心にくる物語

ていうとなんかどちらも見下してるみたいで語弊があるけど…。
私にとって、あるいはまだ自分の人生を自分で決めて歩いていってない子供〜若者にとってこの作品が、こんな人生(半生)を歩んだ人達がこんな風に信じるものをそれぞれ見つけて生きてるよ、と教えてくれたというか、道標になってくれたような気がして。

少なくとも私にとってこの小説は、ただ物語を読んだ以上に、それじゃあ自分が信じるものって何かな、と考えるきっかけになりました。それにしても、歩君の空気を読む臆病な性格とか、自分と重なる部分も多くて、下巻で段々どん底へ落ちていくような展開は妙にリアルで生々しかった…。自分にも同じような事が起こっても全然おかしくないような気がしたので。

また、この「信じるものを見つけること」という宗教なども出てくる大きなテーマの中で、その根底にある「すがるものはそれぞれであってもいい」という西さんのスタンスに、なんか救われた気持ちになった。

信じるって結構曖昧だし、宗教とか信念とか、何かに救いを求める人に対して批判的な人もいるけれど、西さん自身も小説は自分の中小説の神様のような存在に向けて書いている気持ち、とおっしゃっている。
「フレキシブルに自分の信じるものを、自分だけが信じられるものを持てれば。登場人物たちに、それを強く思ってほしいと願いながら書いていました。」

色んな信念とかを提唱する人がいるけれど、それを参考にするにせよ、鵜呑みしないで自分がそれを信じるかを自分で決められるように心がけたいと思った。

そして未だ「舞台」や「炎上する君」など読みたいけど読んでない西さん作品はいっぱいあるので少しずつ読んでいって、一通り読み終えたらもう1度この本を読み返そうと思った。

【感想】CREAの夜ふかし特集が素敵だった

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夜ふかしをこんなにお洒落に特集してしまうなんてずるい。

けどもう表紙を見た時から、「あ、コレは買いだな」と決めてしまった1冊。

 

CREA6月号の「夜ふかしのすすめ」なので購入したのは数ヶ月は前の話。

いつものように大型書店で雑誌エリアを徘徊していた所、目に入った言葉。

「寝坊していい前日の、幸せな過ごし方 夜ふかしのすすめ」

寝坊していい前日の、って事はだいたい金曜。金曜夜なら心置きなく夜ふかし

してもいいでしょ、って言われた気がして、確かに夜ふかしできるじゃん!と(笑)

 

白い室内に青い光が差し込む中読書する女性の写真の、静かで綺麗な表紙。

目次も、「夜ふかし⚪︎⚪︎」として具体的に夜にできる事を提示してくれている。

表紙を見るだけでもわくわくするし、掲載されているタレントも豪華メンツ。他夜ふかし×⚪︎⚪︎の分野の案内人として様々なアーティスト等が載っている。

 

私はまだ社会人生活にもよく慣れていないし、貯金もしたいからそんなにお金を浪費したくないと思っているケチな女なので、雑誌は好きな作家やタレントが掲載されていて、それも濃度の高い対談とかではない限りは立ち読み派だったけれど、この特集はずるかった。

ほぼ全ての夜ふかし提案が素敵だったけれど、夜ふかしに関するインタビュー系と

夜ふかしでアウトドア・インドアに分けてざっくり感想をば。

 

●夜ふかしライフ

綾野剛真木よう子山田孝之黒木華への夜の過ごし方インタビュー
(それぞれ見開き1ページ)

 

文<写真でビジュアル重視。でもそれぞれ大人っぽくて素敵。

基本夜ふかし万歳、みたいな内容かなと思っていたけれど、綾野剛さんが朝の優しさについて語っていて。初めは夜ふかしをしている話・演技や役作りの話をしていたけど、夜ふかしを楽しんだ朝の感覚こそ豊かだと。

夜が魅力的なのは朝が寛容だから。「お前がなんと言おうと包み込んであげる」という朝の優しさがあるから、「僕は朝なんかより、夜が好きなんだ」とダダをこねたくなる。そのくらい朝って優しいものだと思います。

 と最終的に朝の優しさを説いている(笑)SWITCHインタビューで又吉さんと対談している時にも思ったけど、感性が豊かで少し独特だなと思った。確かに朝って優しい感じがする。平日朝はその優しさを感じられないけど。(出勤までの時間との勝負)

あとは真木さんの写真が美しかったり、山田さんの「やりたいことは、死ぬまでに全部やりたい」って言葉が格好良かったり、黒木さんが夜な夜な卵白を泡立ててシフォンケーキを作ってる話が新鮮だったり!

 

● 夜ふかし×アウトドア編(go out)

パン屋・喫茶店・パンケーキ・レストラン・ブックカフェなど深夜楽しめる店情報。

他水族館・マニアな夜景・天体観測・夜行列車・銭湯・築地の朝ごはん・世界の夜ふかし(パリ・ハワイ・東京など比較)

 

ある意味これこそこの雑誌を買った意味。夜におすすめの本とかは、自分で見つければいいっていう面もあるし。深夜までやっているお店など。実際24時間やってる小さなパン工場が紹介されていたので行ってみたりした。雑誌に載ってなければ絶対地元の人しか知れないような住宅街にあって、すごく美味しかった。ディープアジア飯としてアジアンなお店も紹介されていたり。あとは夜に水族館もいいな〜と。カップル多そうだけど。水族館で女性限定のお泊まりツアーなんてのもあるらしい。ただレストランに関しては、この雑誌自体が経済的に自立している20〜30sの女性向けというのもあって、ちょっとリッチなお店なので、特別な日に行く際の参考かなーと。

パン屋・喫茶店・ブックカフェ辺りならば気軽に行ける。

 

 

●夜ふかし×インドア(home)

 コーヒー焙煎・ベットサイドブック・歴史マンガ・ジャンク・モンブランwithワイン・たこパー・ぬか漬け・ラジオ・映画・ストレッチ・美容用品など。

更にコラムとしておすすめ深夜番組・深夜ラジオ・音楽・海外ドラマなど。

 

この特集で紹介されてたのをきっかけに今絶賛ハマり中の物がある。能町さんが深夜ラジオの案内人としておすすめラジオを選んでいた「朝井リョウ加藤千恵オールナイトニッポン0」。朝井リョウさん自体元々気になっていたしテレビで観たり著作読んで好きになってたけど、やはり作家さんの感性って面白い。1回2時間もあるからまだ過去放送のを聴ききれてないけどこれも感想書きたい。内容忘れちゃいそう。

 

同じくコラムでおすすめの深夜番組として「おやすみ日本 眠いいね」が紹介されてた。もちろん初回から観ているからなんか嬉しい。そして同じく紹介されていた「久保みねヒャダこじらせナイト」。3人ともそれぞれ知っていたけどこの番組の事は名前くらいしか聞いた事なくて、試しに観てみたらやっぱり面白くて、以降毎週録画になった。

 

というわけで、この雑誌を機にCREAの特集内容を確認、店頭でパラ見して、ピンときたら買う事を始めて早数ヶ月。しばらく海外旅行はできないので買わなかったハワイ特集を除いて、8月号の「すぐできる、夏休みっぽいこと」現在発売中の「本とおでかけ」と、これまで3つのCREAを購入中。

毎月紹介されているコスメや服・アクセは私が気軽に買える値段ではないのであまり参考にならないけど、特集の切り口がツボなので毎月楽しみ。

 

 

 

 

又吉のブログ「猿」のためなら私は。

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ピースを知ったきっかけはYoutubeで見た、まだ売れる前のコントを見てからだった。斬新で独特で、1つのネタで時折壮大な物語の世界に惹き込まれた気持ちになって、関連動画であらゆるコント・漫才を探しまくった。

息もつけぬ程爆笑、というのではないけれど、ひょんな所で笑いを取りにくる独特な芸風。時にはボケとツッコミが逆転したり、2人共ボケて、観客の心の中でツッコミを持たせて笑いに変えるような展開。何より、ピースというコンビ名が象徴するような、愛を感じるコント。

 

こうしてたまたま関連動画かなんかで見たピースというコンビの虜になった私は、とりあえず二人に関するプロフィール等をネットで調べて、出演番組や掲載された雑誌・Webの記事などをひたすら調べた。同時に、2人がそれぞれブログをやっている事を知った。

 

ブログのタイトルは「猿」と「蛇」。

 

又吉が猿で、綾部が蛇。それぞれの干支だった。

渋い!とそれはそれで益々好きになった。

 

まず綾部のブログ「蛇」を見た。主に自撮り写真が多く、

文字は少なめ。とはいえ自分が1番格好良く見える角度を極めて撮ってます系の自撮り、というよりは、ダボっとした私服姿でとりあえずパシャ、ちょっと文字沿えて更新!というラフな雰囲気で、なんかいいな、と思った。

 

次に又吉のブログ「猿」を見た。

綾部のブログとは見事に対照的で、芸人とは思えないくらい静かな文章。

けれど何だかすごい物を発見してしまった気持ちになった。

又吉が太宰の「人間失格」を始めて読んだ際に感じた主人公に対する

共感。おこがましいけど、私はこのブログを読んで同じような事を又吉に感じたし、それによってすごく救われた気持ちになった。

その晩のうちに、一気に過去の記事を全て遡り読み耽った。

 

又吉のブログの文章に度々登場する後輩芸人がいた。

現在又吉が一緒に住んでいるジューシーズ児玉とパンサー向井。

ブログではよく2人と夜の公園を散歩した際の話が書かれていた。

同様に彼らと喫茶店に行った時の話もあった。

一般的にコミュ力が高くて明るくて、人付き合いが派手そうなイメージ

の芸人さんが、男2人で喫茶店に行く。それも、記事で又吉が綴るのは、自意識が過剰になり空回りする自分に淡々とつっこむ後輩だったり。

そんな所もいいなあ、と思った。

 

普通は何気ない日常や仕事の告知が主となるブログでも、又吉の文章は読んでいるとくすっと笑えて、どこか物悲しくて、でもただの悲観的とは全然違った。普段言葉にはしないし自覚する程ではないけど、私も過去に似たような事あったな、という事を言葉にして気づかせてくれて、私だけじゃないんだと少し安心させてくれてくれるような文、という感じ。

そんなこんなで、又吉のブログ「猿」を読んで、又吉直樹というお笑い芸人を尊敬して、応援して、大好きになった。

 

だから、更新頻度がどんどん少なくなっていったのはしょうがないにせよ、ブログが無くなってしまった事を知った時はかなりショックだった。

過去に戻れるのなら全記事をスクショしたいし、「全て手書きで写す以外に残す方法はない」って言われても迷わず書き写す。

勿論書籍化してくれたら買う。なんなら保存用と持ち歩き用とおすすめ用に3冊は買いたいレベル。

要するに、あの今は幻のブログ「猿」をもう一度読みたくてしょうがない。

 

ブログの更新がなくなってから、又吉はツイッターを始めた。他の芸人さんに比べて呟く頻度は少ないけれど、1つ1つの呟きが噛めば噛むほど味がでてくるガムみたいに濃い。140字という制限の中でなんでこんなに味わい深いツイートができるんだろうってくらい面白い。

それもすごくすごく好き。今度お気に入りの呟きをクローズアップしたい。

 

でも、やっぱりもう少し1つの事を長く語ったブログ記事が読みたくて。

単純に長い文章が読みたいだけならば、又吉はよく雑誌でエッセイを書いているからそれで事足りる。そういうエッセイもすごく面白い。けれど、ブログの記事とエッセイが異なるのは、1番のびのび書いている感じがしたこと。

程度はどうあれ人から見られる事を意識して書くのはブログでも雑誌でも当たり前だけれど、仕事として出版社からお金をもらっている雑誌のエッセイに比べて、あのブログは自分で自分を売るためのもの。もしかしたら事務所から多少のお金はもらえてた可能性はあるにせよ、基本的にタダで、おそらくあまり大多数が見る想定としては書いていない言葉達。

だから、なんとなくブログの文章の先で、夜に又吉が寛ぎながら文を綴っているイメージがして、私も寛いで読んでいた。

 

又吉の日常的なエッセイでいくと、その後「第2図書係補佐」というエッセイ仕立ての本を紹介した本も評価が高かったし、「東京百景」もより詩的だった。この2冊もよく読み返す。

 

ただ、もしあの又吉のブログ「猿」を読めたなら、普段感動しても泣けない自分もなんだか泣いてしまいそうだな、と思う。

 

そんな事を考えていたから、この前京都で始めて知恩院(綾部と又吉をある意味結びつけた寺院)へ行った際、気がついたら申年でもないのに申(猿)のストラップを買っていた。

第1回 ピース(綾部祐二さん 又吉直樹さん):京都の観光情報 | DigiStyle京都

 

さすがに買うなら自分の干支でしょ、と思っていたのに。

そんなに又吉のあのブログ読みたいんか、と少し自分に呆れたこの頃でした。

 

 

「趣味は読書です」と言えるために

 

自己紹介が難しい。

特に、趣味の部分が。

 

名前や出身地はあまり強い個性とは言えないし、学歴や職歴はある程度のイメージにはなるけれど、その人自身の事はよくわからない。となると、だいたい次に続く趣味が大事になってくる。

 

好きな事で浮かんでくる趣味は、結構ある。

旅行・カフェ・読書・アニメ・漫画・ラジオ・音楽・お笑い…

けれど「趣味は〜です。」というからには、少なくともその場にいる誰よりも、

それに詳しかったり、語れる知識を持っていなければいけない気がして、尻込みする。

 

その中でも最近私が特に躊躇してしまうのが、読書。

私は別に小さい頃から本を読んできたような読書家ではない。

むしろ読書は苦手な方で、クラスで1人いるような、暇さえあれば難しそうな

本を読む読書好きに憧れてきた。

 

だから、ここ数年やっと本の面白さがわかってきて、「趣味は読書です」と言った所で、その場に1人でも根っからの読書家がいた場合、知識の無さを露呈するだけで、

一気に趣味らしくなくなってしまう。

 

同じ事は他の趣味でも言えて、アニメだって全て網羅しているわけじゃない。

お笑いだって好きなコンビがめちゃくちゃ好きなだけ。決してその分野のエキスパート

じゃない。

 

 

それを克服するために、というと少し違うけれど。

読みたい本・見たい映画やアニメ・やってみたい趣味。

そんなものはたくさんあるので、私なりに勉強して、アウトプットして、

楽しみながら勉強していきます。

 

Anmitsu