くろみつの隅の囁き

文化系全般を勉強中。2〜3次元までミーハー気質。又吉ごととか。

【映画】異色の青春映画「私たちのハァハァ」を観てきた。

松井大悟監督「私たちのハァハァ」をひょんな事から観てきた。

今話題の監督の作品だとか、国際ファンタスティック映画祭の二冠に輝いたとか、映画通には今注目されている映画だったようだけれど、特に映画通ではない私がこの映画の存在を知ったのはつい2週間前の事。たまたま観てきた、という人のツイートを目にしてなんとなく気になった。…いや、気になったんだけれど、タイトルがなんだかいかがわしくて、女子高生の恋愛とかの生々しい衝突、人間関係のドロドロを詰め込んだ系…?と尻込みもした。でもググっていくうちに、そうでもなさそうだぞ、と。

 


映画『私たちのハァハァ』予告編 - YouTube

 

福岡の片田舎に住む女子高生4人が好きなアーティストに会うため自転車で東京に向かう青春ロードムービー。しかもその彼女たちが好きなのが「クリープハイプ」だと知り、にわかではあるけれどクリープハイプいいな、と思っていた私は「これは観にいかねば」と。しかも丁度先日朝井リョウさんのエッセイ「時をかけるゆとり」を読んでいて、大学時代の朝井リョウさんがノリで東京から京都まで自転車で行く「地獄の100キロバイク」という章を読んだばかりだったので、あの死闘を女子高生が、しかも福岡から東京…?という興味もあった。ただし朝井さんはなんだかんだちゃんと自転車で京都に辿りついた(すごい!)けれど、彼女達は映画の割と前半でさらっと自転車を捨てたので、「自転車で向かう青春ロードムービー」というより、「自転車で向かおうとしたけど諦めてあらゆる手段を…青春!」という印象だった。

 

この映画はかなり異色で、まず主演の4人がほぼ演技未経験という事、そしてそれぞれが各方面でちょっとした有名人という事。

・シンガーソングライターの井上苑子さん

Vineの6秒動画で人気を集めた大関れいかさん

・「ミスiD2014」ファイナリストの真山朔さん

・女優の三浦透子さん 

私がこの中で知っていたのは、Vineの投稿動画で有名な大関れいかさんだけだった。それもいくつか動画を見たことがあるだけで、そんなに詳しくもない。

三浦さん以外は演技未経験で、でもそれが「女子高生のノリ」をすごくリアルに生み出していて、映画の始め「演技に見えない、4人とも自然すぎる!」と感じ、途中からは普通に女子高生の青春を覗き見しているような気分でいた。

 

鑑賞後の印象としては、詳しいあらすじを振り返っても、あまり意味が無いというか。

1つの映画作品を鑑賞し終えた、こんな物語だったな、というより、現実世界に彼女達がいてこんなことがあったんだな、という感覚に近くて、帰りの電車も作品から抜け出していない感覚だった。映画にあまり詳しくない身としては映画評論なんて全然できないししようとも思わないんだけれど、出来ないなりに、ただの女子高生の自撮り感とか、いるよねこんな群れてる女子高生、っていうのだけを全面に押し出した、生々しさをひたすら見せつけられる90分だったらどうしよう、などと一人で勝手に警戒していた。あるいは、危ない橋を渡りすぎて何か事件に巻き込まれるとか、まあそうなるよね、みたいなありきたりな展開とか、最終的に「まあ色々あったけど私たちずっと友達」とか、「あの頃は青春だったね」とか、そういう終わり方されたらどうしよう…とか(笑)

 

でも心配無用でした。一言で言うと、すごく面白かったし観て良かった。(※物語の核心の部分はないものの以下ネタバレ注意)広島の公園のベンチで4人の女子高生が野宿するとか、ヒッチハイクで見ず知らずの兄ちゃんのトラックに乗せてもらうとか、キャバクラで年齢詐称して働くとか、夜のクラブとか、安易なTwitter写真投稿とか。結構彼女の親達だったら発狂しかねないというか。親じゃなくても、危ないよ!とか、何かあったらどうすんの!って思うう事を割と次々にやらかしていくんだけど、そういう突っ走ってしまった危ない事が原因でやっぱりこういう痛い目にあったよね。やっぱり青春だって突っ走るのはよくないよね、っていう展開には全くならなかった。特に怪しい人に襲われるとか、事件に巻き込まれるとかもない。むしろなんだかんだ東京に近づいていく彼女達すごいな、結構いけるもんなんだなという感じ。

 

●言葉にできなかった女子高生の頃の感情を思い出す

しかもその女子高生特有のノリ、関係性のリアルさっていうのが、一応昔女子高生だった自分としては、表面的な女子高生っぽさではない部分をすごく感じられて。

私自身は、クラスできゃっきゃしてる彼女達みたいなタイプを少し遠巻きに見ている系だったとはいえ、なんかこういう空気あった!が随所にあって。

以下、映画の帰りに電車でEvernoteにかなり雑にメモした「リアルだな」と感じた事や感想の一部をほぼそのまま。

 

・すごくリアルな自撮り感、女子高生のノリ、芝居らしくない演技、その辺にいそうで、つるんでそうな顔と性格の女子高生。
・よくある映画みたいに、1つの事実やセリフが後の展開に引っ張ったりしない現実感。

・軽くてなんとなく発したくなるセリフ。その割に自分でもはっきりしない感情。

・ずっと同じテンションではないから時折自分を客観的に見て冷静になるし、どっかでわかっているけどなんとなならないかっていう気持ち。

・仲間だし、瞬間的には「この友達なら自分の色々な感情の全てを曝け出せる」と感じるのに、わりと直後にちょっとした事で感じる失望。仲間だけど敵だけど仲間みたいな。

 

…他にもいくつかメモってるけれど、あまりにメモが雑なので。

でも広島の野宿のシーンとか。その場の雰囲気もあるけれど、「この人と私は今全く同じ感覚で生きてる、今私の気持ちを100%理解してくれてる!」って嬉しくてたまらなくなったり、全能感に満ち溢れたりした事が中学の頃私は経験があって。(正直高校生の頃は彼女達よりもう少し落ち着いていたかも。)

でもその後、ちょっとした一言とか、別件でその友達との意見の相違を感じて、表向きもちろん衝突とかはしないし「親友」のままなんだけれど、実は「あ、やっぱり私と彼女は違うんだ」って寂しくなったりした。

今となってはそういう自分と同じ価値観・感覚の人が親友とかでは全くないし、そもそも全てを理解してくれるなんて不可能だぞ、と思っているからある程度その辛さからは解放されたんだけれど。

 

そういう言葉にできないモヤモヤがいっぱいあって、無意識だけどそれが琴線に触れて衝動的な感情になったり、今となっては恥ずかしい事もしたなあ、と。

そんな事もう最近は忘れていたし、綺麗に思い出らしく写されたアルバムとかを見てもその頃のそんな感情を思い起こすことなんてできなかった。でも、結構そういう言葉にできない所に日々支配されていた事を思い出した。

 

●アーティストとの距離と「好き」の違い

アイドルでもアーティストでも俳優さんでも、何かのファンになった事があるならこの「好き」の違いってすごく共感できる部分で、それもすごくリアルだった。

クリープハイプが大好きだから東京に行く。同じクリープ好きでも、ほとんど狂信的に好きな文子と、音楽が好きで、その中の好きなアーティストとしてファンな一ノ瀬。狂信的な文子から見れば「にわか」と感じられるかもしれないチエ、彼氏もいて、ノリは良いがそこまでクリープに熱狂的ではないさっつん。

それぞれの好きがあるのは当たり前。熱量が異なるのも当たり前なんだけど、同じ目的のために(特に極端な)行動していると、その違いが徐々に衝突の火種になってくる事もあるだろうなーと思った。

私はつい最近まで「ジャニオタ」さんが苦手で、彼女達の「好き」から生じるノリとか行動を全く理解できなかった(身近にいたクラスメイトやSNSのジャニオタとか)。それはツイッターで時折見かける排他的なツイートとか、 ただ狂信的に彼らが好きな自分に酔っているだけなんじゃないかと思える「キャー」っていう声とか、自分の好きなアイドルが何をしても「可愛い」を連呼する所とか。高校くらいまではそういう狂信的に騒いでいるイメージがただ苦手だったけれど、Twitter等で、自担はこうあるべきだ、グループの方向性はこう進むべきだとか、好きだからこそ厳しい事もいいますよ、という態度もすごく嫌で。そういう一ファンが彼らをなんでも知っている気取りで語っているツイート等を見てもなんだかなあ、と思ったし、ジャニオタだけがそうとかでは実は全くないんだけれど、勝手な長年の固定観念で、何かに熱狂的なファンを冷めた目で見てしまっていた。そしてそういう類のファンへの苦手意識に影響されて、ジャニーズやアイドル自体を長年好きになれずにいた。(※今はそうやってどこかで馬鹿にしていて、視野が狭くなっていた自分を反省している)だからそこから、ひょんな事から応援したくなったあるグループを、「好き」と認めるまでに1年近く葛藤したりしたんだけれど。

よく⚪︎⚪︎(アーティストグループ名)のファンはボーカルに狂信的なファンが多いとか、あのファンはキチガイだとか、ファンごとになんとなく現れる特徴をさも全員がそうであるように批判したりする言葉をネットで見かけたりするし、なんとなく100%ではないけれど「確かにそうっぽい」とか、よくわからずに良い印象や悪い印象を勝手に持ってしまう事があったけれど。

同じ人やグループを好きでも、本当に色々な好きがあるんだよなって、この1年で特に痛感した。そしてその好きの違いが、何が正しい、間違っているとかは全く無くて、熱量が多ければ良いというわけでもない。自分が好きなように好きでいれば、というのを再認識させられた。というか、いろんな「好き」の形を認めてもらえないと、息苦しくてしょうがない。まあそれでも、他のファンやファンでもない人に迷惑をかけたり傷つけたり、そこから発展して応援しているアーティストの足も引っ張ったり、なんていう行為は、やっぱり良くないな〜とは思うけれど。でもそんな人はほんの一部で、大多数の人は自分の「好き」に素直でキラキラしてて眩しなって思えるようになってから、色々な事が楽しくなったし、更に色々なアーティストを自分なりに好きなれる出会いがあった。

とりあえず、この映画と出会えてよかった。

もっと色々な映画を観よう。