くろみつの隅の囁き

文化系全般を勉強中。2〜3次元までミーハー気質。又吉ごととか。

サラバ!と去年のダヴィンチの西さん特集掘り起こし

サラバ! 上

サラバ! 上

サラバ! 下

サラバ! 下


西加奈子さんの作家10周年の記念作品「サラバ!」を遅ればせながら読み終えた。
上下巻でなかなかのボリュームで、主人公の半生を一人称で読む物語だったため、
読後1〜2日は主人公の歩が辿ってきた人生が自分の中で抜けきれないような、ふわふわした感覚だった。


同時に、もしやと思い以前購入した去年12月号のダヴィンチを振り返ると、
「祝!作家生活10周年 僕達には西加奈子がいる」特集が。
勿論この特集タイトルは、又吉が「炎上する君」の帯で寄せた言葉を引用したもの。
特集は

 ①作家10周年とサラバ!についてのインタビュー
 ②西さん✖️対談(デザイナーの鈴木成一さん・若林さん・又吉さんと)

で構成されていて、特に①ではサラバ!について詳しく語られている。
読後にこの特集を読んで気がついた部分も多かったので、メモをしつつ感想をば。




⚫️「僕はこの世界に、左足から登場した。」プロット無しで書き始めた長編。

NHK「SWITCHインタビュー」の椎名林檎さんとの対談、他雑誌のインタビュー等でも散々語っている通り、西さんはこの一文が頭に浮かんだ事から始まり、プロットを立てずに物語を書き進めていったらしい。
上下巻にもなる長い物語で、こんな作品を書いてしまうなんて作家さんの頭の中って恐ろしいなと思うけれど、確かに読んでいて起承転結の物語というより、主人公と、それを取り巻く家族・親戚・友人の半生そのものを過ごしてきたような気になったので、だからだったのかと感じた。

人が、言葉が、後から、後から大切な意味を持って立ちあがってくる。パソコンの前で西さんが「うわーっ!こういうことやったんや!」と感動した、そのいくつもの瞬間は、背筋が震えるほどのカタルシスを読者にももたらしていく。

ダヴィンチの記事でもあるように、自分が書いたものではあるけれど、引っ張られていった感じがあるという西さん。
同時に、年齢や経歴など主人公と重なる部分が多くあるものの、西さんは小説である時点で彼らが西さん自身にはなり得ないとしている。一方で、

身体性というか、自分の経験したことって絶対に文章に出る。経験したことそのままじゃなく、背景みたいなものが出ると思うんですよね。だから、エジプトへ行った経験というのは、今の私の血であり、肉であると思うので、素直にそこは書きました。

ともおっしゃっている。確かに、西さんに限らず「火花」やその他の本を読んでいて、作家さんの背景を一部知っていると、その人自身は出てないけれど、エキスはすごい感じるな〜と思う事が多いので、このサラバ!も西さんの経験が背景に濃く出てきた作品なんだと感じた。
それにしてもイラン・テヘラン市生まれってかっこいいな…(笑)



⚫️下手な人生指南書より何百倍も重みがあって、心にくる物語

ていうとなんかどちらも見下してるみたいで語弊があるけど…。
私にとって、あるいはまだ自分の人生を自分で決めて歩いていってない子供〜若者にとってこの作品が、こんな人生(半生)を歩んだ人達がこんな風に信じるものをそれぞれ見つけて生きてるよ、と教えてくれたというか、道標になってくれたような気がして。

少なくとも私にとってこの小説は、ただ物語を読んだ以上に、それじゃあ自分が信じるものって何かな、と考えるきっかけになりました。それにしても、歩君の空気を読む臆病な性格とか、自分と重なる部分も多くて、下巻で段々どん底へ落ちていくような展開は妙にリアルで生々しかった…。自分にも同じような事が起こっても全然おかしくないような気がしたので。

また、この「信じるものを見つけること」という宗教なども出てくる大きなテーマの中で、その根底にある「すがるものはそれぞれであってもいい」という西さんのスタンスに、なんか救われた気持ちになった。

信じるって結構曖昧だし、宗教とか信念とか、何かに救いを求める人に対して批判的な人もいるけれど、西さん自身も小説は自分の中小説の神様のような存在に向けて書いている気持ち、とおっしゃっている。
「フレキシブルに自分の信じるものを、自分だけが信じられるものを持てれば。登場人物たちに、それを強く思ってほしいと願いながら書いていました。」

色んな信念とかを提唱する人がいるけれど、それを参考にするにせよ、鵜呑みしないで自分がそれを信じるかを自分で決められるように心がけたいと思った。

そして未だ「舞台」や「炎上する君」など読みたいけど読んでない西さん作品はいっぱいあるので少しずつ読んでいって、一通り読み終えたらもう1度この本を読み返そうと思った。